訳者は役者に通ず -上白石萌音・河野万里子『翻訳書簡 『赤毛のアン』をめぐる言葉の旅』

 ひととことばが紡ぐ可能性を、この一冊の中に見た気がした。上白石萌音・河野万里子『翻訳書簡 『赤毛のアン』をめぐる言葉の旅』(NHK出版、2022年)である。

 上白石萌音は、語学に堪能な俳優である。出演作にアニメ映画『君の名は。』、NHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』などがある。河野万里子は、英語・フランス語の翻訳を手がける文芸翻訳家である。訳書にサン=テグジュペリ『星の王子さま』、グランベール『神様の貨物』などがある。

 この本は、NHKの語学講座「ラジオ英会話」における上白石と河野の連載を基にしている。ルーシー・M・モンゴメリ『赤毛のアン(Anne of Green Gables)』の名場面を上白石が翻訳し、それに対し河野がコメントするという、往復書簡の形で進む。

 この本の特徴と魅力は、河野が紹介する「訳者は役者に通ず」という言葉に集約される。

「訳者は役者に通ず」という言葉があります。「やくしゃ」という同じ音で、翻訳の「訳者」も舞台の「役者」も、原作の面白さやすばらしさを表現して伝えようとする点で、相通じるところがある、という意味です!(p.24)

 上白石は、かつてミュージカルの舞台で演じた作品に、今度は翻訳という形で向き合う。河野はプロの翻訳家として、上白石に翻訳の手ほどきをする。当初は「英文和訳」のようにぎこちなかった上白石の訳が、河野との書簡を続けるなかで次第にこなれていく。上白石の「訳者」としての成長や「役者」としての感性に、河野が驚きを見せる場面もある。

 この本は、『赤毛のアン』という作品をめぐり、2人の「やくしゃ」が見せる「訳者」と「役者」の掛け合いなのだ。

 河野は、翻訳において心がけるべきことのひとつを、「情景描写では、『役者』というより『カメラマン』または『監督』の目になってみる」(p.52)と説く。

 舞台で物語を観客に届けるうえでは、役者だけでなく、監督やカメラマンにも欠かせない役割がある。どんなものを、どんなふうに映すか。演じ方だけではなく映し方も、観客にとっての物語の印象を大きく左右する。舞台には人や衣装だけでなく、小道具や照明、音響もある。しかし翻訳の場合、使える道具は文字だけだ。

 では翻訳家は、物語の感動をどのようにして届けるのか。河野はその技術を、「頭のなかにスクリーンを広げよう」(p.58)と表現する。

(前略)翻訳では、原文や辞書の文字を見ただけで「意味がわかった!」とすぐ日本語を書き始めずに、それらの文字から浮かび上がってくる景色や人物を脳内でよく見て(想像して)、その「脳内映像を描写する」ようにしながら、日本語を書くといいのです。(p.58)

 情報技術が進歩したいま、「速く」(どころか一瞬で)訳すことは技術的に十分可能である。機械による「速さ」が重宝される場面もあるだろう。しかし、「すぐ日本語を書き始めずに」「『カメラマン』または『監督』の目」も使い、「頭の中にスクリーンを広げ」るという、「遅さ」からこそ生まれる翻訳も確かにある。

 上白石は、河野のもとで2年間向き合った「翻訳」のプロセスを、次のように振り返る。

毎回素敵な文章に心躍らせたら、すぐさま日本語と英語の語彙の大捜索が始まり、たくさん想像して頭の中に描いて、言葉と向き合って来ました。(p.200)

 正解はない。だからこそ、面白い。言葉の向こう側に広がるものを、いかに言葉だけで表現するか。翻訳とは、ひととことばの可能性を引き出す営みなのだ。

 『赤毛のアン』の世界、そして翻訳という営みの魅力を伝えてくれた2人の「やくしゃ」に、心からの感謝と敬意を込めて。

 (藤崎 尊文)

   

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