今回取り上げるのは、ピエール・バイヤール(大浦康介訳)『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫、2016年)である。
「読んでいない本について語る」なんて不真面目だ、と眉をひそめた方もいるかもしれない。この本は、そんな真面目な読書家の方にこそすすめたい一冊である。
著者はこの本で、自身の経験や文学作品を参照しながら、読者に〈読んでいない本についてコメントする〉テクニックを提案しつつ、読書という行為について掘り下げて考察する。
章立ては下記の通りである。
Ⅰ 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)
Ⅱ どんな状況でコメントするのか
Ⅲ 心がまえ
第Ⅰ部では、本を「読んでいない」という状態について、いくつかの段階に分けて考察がなされる。その考察を通し、「読んだ」と「読んでいない」の境目はきわめてあいまいであることが示される。
第Ⅱ部では、〈読んでいない本についてコメントする〉具体的な場面の分析がなされる。その分析を通し、人が本について語るときには、本の内容自体ではなく、本についての記憶を語っていることが示される。
第Ⅲ部では、〈読んでいない本についてコメントする〉状況を解決・活用するためのアドバイスがなされる。その提案を通し、無知を恐れず本について語ることで、読者は新たな文章の創造へと踏み出すことが示される。
著者によれば、読書の世界では次のような規範が共有されているという。「読書義務」(読書は神聖なものである)、「通読義務」(本は始めから終わりまで全部読まなければならない)、「語ることに関する規範」(ある本について語るためには、その本を読んでいなければならない)、である。読書家だという自負がある人ほど、これらの「規範」にはなじみがあるだろう。
著者は〈読んでいない本についてコメントする〉場面を古今東西の文学作品から取り出し、読者の「規範」を揺さぶる。そして読者に、「読む」「書く」の両方につながる、本との付き合い方を提案する。
まず「読む」については、一冊の本や細部にのめり込まず、その本の書物全体における位置づけや、他の本との関係性を把握することが重要であるという。読める本の数には限りがあり、かつ、本の内容は断片的にしか記憶できないからである。
そして、細部にのめり込まず全体を見渡す姿勢は、「書く」にもつながるという。人が何かを批評するときには、批評する対象から距離をとる必要がある。ある本についてその一冊や細部から距離をとり語ることは、その本についての記憶をもつ自分自身について語ること、他者の言葉から離れた自分の言葉を創ること、につながるのである。
例えば、私がこの記事(書籍の紹介)を書くにあたっても、対象とする本の内容を理解したうえで、一つひとつの細部からは距離をとる必要がある。数万字ある書籍を1,500字程度で紹介するのだから、細部をそのまま引き写すわけにはいかない。内容の取捨選択や表現の仕方について、私の判断が入り込む。書籍の紹介という、あまり独創性はなさそうな文章でさえ、それを書く者は対象とする本そのものと距離をとる必要がある。
ましてや、他者の書籍や論文などをもとに新たな文章を書こうとするならば、引用・参照する文章を相対化したうえで、独自の文章を創ることが求められる。参考文献はあくまで「参考」であり、それらを手段として新しい発見をすることにこそ、新たな文章を書く意味があるのだから。
「読んでいない本」について、堂々と語ろう。その行動が、自分の言葉を紡ぐ第一歩となるのだ。
(藤崎 尊文)