【真似ることに 学びの一歩目がある】

 文章上達のための練習方法の一つは、人の文章を「真似する」ことだ。真似をして書いてみることで、書き方が身につく。練習として行うならば、人の真似は必ずしも悪いことではない。昔は誰かから改めて文章の書き方を教わるということはなく、真似だと意識しなくても真似をしながら、自然と文章の書き方を会得してきたのではないだろうか。

 私も「真似」をしてきた一人だ。小学生の頃、本を読んでいてこれはいいと思う表現に出合うと、その言葉を日記や作文の宿題などで使っていた。その頃は、読書によるインプットと、作文というアウトプットとが、私にはちょうどうまい具合に機能していた。

 しかし、その歯車がうまく回らなくなったのが、高校生の時だ。「現代国語」の教科書に出てくる「評論」は、文章の内容も言葉も私には遠いものに感じられた。理解するのに時間がかかるようになり、もどかしかった。

 後から思ったのは、これまでの小説中心の読書では、評論を理解するために必要な読解力が身につかないということだ。また、評論で取り上げられているテーマへの関心の低さもあったと言える。

 変化が訪れたのは、十数年前に小学生から高校生を対象とした作文教室を開き、小論文の指導をするようになってからである。評論を面白いと感じるようになったのだ。様々な分野への興味が湧き、関連する本を読むようになると、次第に理解も深まってきた。

 国際情勢、自然環境、科学技術、様々な価値観など、昔に比べて問題は多岐にわたり、その程度も深刻さを増してきている。これらの中から、私は今、小論文のテーマを選び、用意した資料と共に高校生に提示している。

 ここで、私はある既視感に出合う。馴染みのないテーマに戸惑う高校生の姿が、かつての自分と重なるのだ。

 日頃、生徒達には自分の頭で考えることの大切さを伝えており、生徒の方もそれに応えてくれている。とは言え多くの高校生は、読書に選ぶ本のジャンルや興味関心の対象がそれほど広くはない。それでも、これからの社会を動かしていく世代には、様々なことを考え、解決していく力をつけていってほしい。そのためには文章を通して考え、考えたことを書くことが、遠回りのようだが近道なのだ。

 では、何を使い、どのようにして学ぶべきか。基本は「良質の文章」を「読む」「書き写す」ことだ。自分の中に文章を取り込み、次に活かせるように蓄えるのである。

 その点「ポルタ」の文章は、毎日読んで書き写すには程よい文章量と内容だ。多岐にわたるテーマなので、今まで関心のなかった話題でも考えることになる。生徒達にはぜひ取り組んでほしい。自分が高校生の頃に「ポルタ」があったらと、思わずにはいられない。

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(川戸 恵子)

   

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