「こどもまんなか」を掲げる行政庁の発足から半年余りが経った。「子どもの権利」「子ども・若者の意見反映」といった言葉を聞く機会も増えた。しかし、具体的に子どもとどのように接すればいいのか、どのような手段をとればいいのかとなると、戸惑ってしまう。私たち(おとな)自身が、「こどもまんなか」の社会を経験していないからだ。
安部芳絵『子ども支援学研究の視座』(学文社、2010年)は、子どもの〈支援〉者を志す人に向けて、理論の知見と実践の指針、そして勇気を与えてくれる一冊である。
著者は子どもの権利・子ども参加を専門とする研究者である。ファシリテーターとして子ども参加支援の実践に関わるほか、有識者として国や自治体の委員も数多く歴任してきた。他の著作に『災害と子ども支援』(学文社、2016年)、『子どもの権利条約を学童保育に活かす』(高文研、2020年)などがある。
『子ども支援学研究の視座』は、子ども参加-子どもが意見表明や自己決定を行い、自身が直面する現実を変革していく権利-への支援について、理論・実践・制度の面から重層的に研究し、「子ども支援学」を構築した一冊である。以下ではこの本の内容のうち、学校における子ども参加の実践例として、札内北小学校(北海道幕別町立)を取り上げたい。
ある年、札内北小の児童会は「自分たちの手で作り上げる運動会」という目標を掲げた。この実践に関わった教員は、その理念を「学校を子どもに返す」と表現する。
子どもにとっての学校を、先生に指示される場から、自らが主体となる場に変える。しかしこれは「言うは易く行うは難し」だ。行事の企画運営を児童に任せるとなると、子どもは重い責任を負い、先生は手や口を出したいのを我慢しなければならない。
話し合いで話題がそれる、児童同士の意見が対立する、物事が段取り良く進まない。先生が仕切るよりも、児童に任せる方が、時間も手間も多くかかる。この実践を支えるおとなに求められたのは、おとなから見れば「失敗」に思えることも子どもにとっては成長のプロセスだと捉え、「待つ」ことだった。
「先生の顔色を窺うことなく」という言葉は、安心して「失敗」できる環境があることを意味している。子どもに責任を返し、子ども中心となればうまくいくとは限らない。時には、おとなが驚くような「失敗」も生じる。確かに大人が先回りして手を出せば、その「失敗」は回避できるかもしれない。しかし、おとなが先回りばかりしていては、子どもは一体いつ「失敗」すればいいのであろうか。誰であっても必ず「失敗」はする。「失敗」をどう乗り越えるか、一人では乗り越えられないときに誰がともに悩んでくれるか。子どもの育ちの視点から「失敗」を見たとき、それは、子どもにとってかけがえのないチャンスとなる。(p.115-116)
実際に、運動会を終えた6年生の作文には、行事を担う責任の重さと、自分たちの力で成し遂げた達成感の両方とが、いきいきと描かれていたという。
子ども参加支援は、特別な場所でしかできない大仰なものでは決してない。家庭、学校、習い事など、日常のごくありふれた場所でも、子どもに接するおとなのあり方次第で、その実践は〈指導〉にも〈支援〉にもなりうる。
著者は「社会そのものを支援型に組み替えていくことが求められている」(p.151)とも述べている。子どもの権利条約を日本が批准してから30年近く、ようやく脚光を浴びつつある「子どもの権利」「子ども・若者の意見反映」といった言葉が、現場の実感を伴う理念として社会に根づくことを強く願う。それらの理念を推し進めるうえで、この本は間違いなく、必読文献のひとつに名を連ねるだろう。
(藤崎 尊文)