私たちは、何のために本を読むのだろうか。思考の幅や深さを広げるため、と答えた方には、ぜひこの本を手に取ってほしい。宇野常寛『遅いインターネット』(幻冬舎、2020年)とは、そういう一冊だ。
これは一緒に考えながら、一緒に走る本だ。答えを用意して、活力や安心を与えるための本ではなく、問を共有して一緒に迷い、試行錯誤するための本だ。(p.27)
ランニングをするとき、景色は移り変わるが、走るという行為は続いている。この本も、考える対象は変わるものの、インターネットのこれからを考えるという問題意識は一貫している。
序章 オリンピック破壊計画
第1章 民主主義を半分諦めることで、守る
第2章 拡張現実の時代
第3章 21世紀の共同幻想論
第4章 遅いインターネット
上記の章立てからわかるように、同書の射程は広い。この記事では特に、ひとりの読者・発信者としてできることを考える、第4章について伝えたい。
いま、必要なのはもっと「遅い」インターネットだ。それが本書の結論だ。(p.184)
ここでの「遅い」とは、情報技術の進歩に逆行することではない。情報への接し方を変えるための提案である。
世界中のどこにいても即時に情報にアクセスできる。この「速さ」がインターネットの武器であることは間違いない。しかし、インターネットはその「速さ」と同じくらい「遅く」接することができるメディアでもある。インターネットの本質はむしろ、自分で情報にアクセスする角度を「自由に」決められる点にこそあるはずだ。(中略)そこで、僕はいまあえて速すぎる情報の消費速度に抗って、少し立ち止まって、ゆっくりと情報を咀嚼して消化できるインターネットの使い方を提案したい。そうすることで僕たちはより自由に情報に、世界に対する距離感と進入角度を決定できるはずだ。(p.186)
インターネットそれ自体は、誰もが情報の受発信に関われる技術となるはずだった。しかし、インターネットの普及が、結果として私たちの情報への接し方、ひいては世界の見方を変えてしまった。その帰結として、誤情報や他者への攻撃にあふれた、現在の言論空間がある。ならば、インターネットの使い方を変えよう。私たちが情報への接し方を変えれば、私たちの世界に対する距離感と進入角度も変わる。そうすれば、いま一度インターネットを「考える」ための場所にすることができる、という。
そして著者は、「遅い」インターネットの時代に求められる、新しい「読む」「書く」力を提案する。キーワードは「新たな問いを生むこと」だ。
タイムラインの潮目を読むのは簡単だ。その問題そのもの、対象そのものに触れることもなく、多角的な検証の背景の調査も必要なくYESかNOかだけを判断すればよいのだから。しかし、具体的にその対象そのものを論じようとすると話はまったく変わってくる。そこには対象を解体し、分析し、他の何かと関連付けて化学反応を起こす能力が必要となる。
そして価値のある情報発信とは、YESかNOかを述べるのではなく、こうしてその対象を「読む」ことで得られたものから、自分で問題を設定することだ。単にこれを叩く/褒めるのが評価経済的に自分に有利か、不利かを考えるのではなく、その対象の投げかけに答えることで、新しく問題を設定することだ。(中略)
「書く」ことと「読む」ことを往復することの意味はここにある。単に「書く」ことだけを覚えてしまった人は、与えられた問いに答えることしかできない。しかし対象をある態度で「読み」、そこから得られたものを「書く」ことで人間はあたらしく問を設定することができる。そうすることで、世界の見方を変えることができる。(p.201)
ある物事についてネットで検索するとき、検索窓に入れる言葉を変えると検索結果も変わる。同じように、立てる「問い」によって得られる「答え」も変わる。だからこそ、自ら「問い」を立てることが必要だ。自分の考えは正しい(「敵」の考えは間違っている)、と確認するためだけに立てられた問い。物事そのものに向き合うなかで生まれた、自分で設定した問い。どちらの「問い」がより本質的か、どちらの方がより価値のある「答え」を導けるか。「答え」は明らかだろう。
では、「読む」「書く」とは、具体的に何をすればいいのか。例えば、この本を「読む」。その中で、世界の見え方が変わるような、新しい問いを立てる思考を体験する。そして、「読む」なかでどんな「問い」が生まれたのか、それらに自分はどう応答するのかを「書く」。そうした行動が、「タイムラインの潮目」にとらわれない発信の第一歩となるのだ。
さあ、この本とともに走り出そう。「いいね」の外側にある、新しい「読む」「書く」力を求めて。
(藤崎 尊文)