【日本の儀式 ~成人式~】

 1月は1年の最初の月ですから、行事としては新年に関するものが多くあります。

 新年の賀詞交換や、初詣、松納め、人日の節句、鏡開き、左義長(どんど焼き)、他にもいろいろありますが、よく知られているものだけでもこれだけあります。

 新年に関する行事ですから、比較的月の前半に集中しています。

 そしてこの時期には、上記のように毎年行われる季節や暦に関する行事とは別に、人生の中で誰もが1度だけ迎える大切な儀式が行われる日があります。それは『成人の日』です。

 成人の日とは「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜ここうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨として制定されたそうです。地域によって開催日が異なるようですが、多くの市町村ではこの成人の日に成人式が行われています。

 このように人生において、ある年齢に達したことで祝う儀式の事を『通過儀礼』といいます。

 現在のような成人式が行われるようになったのは、1946年に埼玉県蕨市で実施された『青年祭』からとされていますが、さらにルーツを遡れば、奈良時代から行われていた『元服』がその起源となります。元服は最初公家の間で行われ、その年齢は数え年で12歳から16歳とも、15歳から21歳ともいわれています。つまり、現代のように18歳になったら成年というように定められていたわけではありませんでした。そして、身分によっても元服式の行い方は異なっていました。共通するところは子供から大人の髪型に変え、烏帽子という袋状の冠物を被ることです。その一連の儀式をおこなう役目は『烏帽子親(えぼしおや)』と呼ばれ、それなりの地位のある者が務めました。また、子供のころ呼ばれていた幼名を元服の際に改名し、大人としての名前を名乗ることも一般的におこなわれていました。

 一方、女性にも同様に、平安時代から安土桃山時代にかけて『裳着(もぎ)』という儀式が行われていました。元服と同様、決まった年齢はなく、だいたい12歳から16歳ころに行われており、髪型は垂れ髪から結い髪に改め、成人としての証である『裳(も)』を身につけました。元服における烏帽子親と同様にお世話役が儀式の進行を行いましたが、大体が父親か祖父が務めることが多かったようです。

 男女ともに、これらの儀式を済ませると社会的におとなとして認められ、結婚もできるようになります。

 このような儀式は江戸時代になると、庶民の間でも行われるようになり、女性の儀式の方も元服と呼ばれるようになりました。

 昔は誰もが一律に元服を迎えるわけではないため、今よりも大きな意味合いがありました。「おとなになったことを祝う」というよりは、その日から「おとなであることを広く知らせる」ことと、本人自身が「おとなになった自覚を持つこと」が大きな目的であったようです。さて、現代の新成人は、どのような自覚をもって成人式に臨んでいるのでしょうか。

 おとなとして心身ともにさらに大きく成長することを祈ります。

(植木 乃梨子)

   

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