関東以南では桜の季節はもう終わってしまいましたが、前回の続編として、桜が日本の「国花」的存在になった理由について書いてみたいと思います。
桜に対して抱くイメージは様々だと思いますが、「満開に咲く桜」と「見事に散る桜」では、どちらの方が印象深いでしょうか。
平安時代初期までのお花見は梅の方が一般的でしたので、桜は鑑賞する花ではなく「田植えの時季を知らせる花」として、庶民が「咲く」ことを待ちわびていた、「季節の花」のひとつにすぎませんでした。
平安時代中期以降は、高貴な身分の人々の間でも桜を鑑賞する習慣も徐々に増えてきました。そして、満開の美しさもさることながら、桜の「散る」姿に人の一生を感じとるようになり、はかなさや無常を表現した歌が多く詠われるようになりました。
江戸時代になると、八代将軍徳川吉宗が一般庶民に様々な娯楽を奨励するようになり、その中のひとつに「花見」がありました。隅田川沿いや飛鳥山などに多くの桜が植樹され、江戸の花見の名所となっていきました。一般庶民にもお花見をする習慣が広まったのはこの頃からだと言われています。そして次第に、桜は日本人にとって非常に人気のある「国の文化」としての花になっていきました。
また、「桜の花の生涯」は武士道にもつながるものがあると言われています。
「桜の花の一つ一つは目立たなくとも、沢山の花が一気に咲いて集合体になったときの存在感は圧巻である」ということから、徳川幕府下における武士に対し、「自分の利のためでなく公のために尽くし、個は目立たなくとも集合体として帰属し主君に価値を成す」ことを教えられていました。
大正から昭和にかけての軍国主義においては、「散る桜」が「美徳の象徴」として武士道の教えが引き継がれていきました。多くの若者が桜の見事な散り際に自分を重ね合わせ、片道分の燃料だけを積み飛行場を飛び立っていったという話は、誰もが1度は聞いたことがあるでしょう。
軍国主義と桜の関係性については、多くの専門家の中でも意見が分かれるところであり、「桜をそのような思想教育に利用していない」という説も多くあります。しかし、長く語り継がれる理由には、日本人としてどこかに「そう思いたい」という心情もあるように感じます。そう思うことで、彼らの人生の幕引きが見事なものであったとしておきたいという気持ちが、この説が語り継がれている理由の一つにあると思われてなりません。
これらの桜のエピソードは、見る者の受け止め方や利用の仕方によって、全く正反対の感情を抱いたり、影響を与えたりすることがあるという代表的な例だと思います。
現代でも、桜に卒業の寂しさや別れを感じる人もいれば、新生活スタートへの希望を感じる人もいます。しかし桜自体は昔から何一つ変わっておらず、ただ毎年見事な花を咲かせているだけです。
もしも、気持ち次第で見え方が変わるのだとしたら、毎年変わらず私たちを楽しませてくれる桜に感謝できる心の目と余裕を持ちたいものです。
(植木 乃梨子)