「コミュニケーション(人付き合い)」に悩むすべての人へ

 「コミュニケーション(人付き合い)」に悩むすべての人に、この作品を届けたい。オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』(※1)である。

 物語は、平凡な男子、只野仁人(ただの・ひとひと)が私立高校に入学するところから始まる。只野の隣の席になった古見硝子(こみ・しょうこ)は、行き交う誰もが見惚れるほどの美女だ。しかし彼女は、自己紹介を氏名の板書だけで済ませ、国語の音読で指名されても応じない。只野は古見が人との会話を苦手としていることに気づき、古見の友達づくりに協力することとなる。

 周囲の同級生は一癖も二癖もある人たちばかりだ。彼/女らは、強い個性をもつがゆえに周囲との関わりづらさを感じていたが、古見や只野と知り合うなかで周囲と打ち解けていく。

 この物語は、単に1人の内気な少女が少しずつ会話下手を克服していく話、ではない。極端な「コミュ症」の主人公(古見硝子)を媒介として、彼女と関わった一人ひとりが、「コミュニケーション(人付き合い)」と向き合う物語である。

 それは只野についても同じである。只野は入学初日、高校生活に何ら目的を見出していなかった。彼は中学時代、「個性的」になろうとして悪目立ちした過去がある。その反省を踏まえ、高校では一切目立たず、波風立てず、無難に過ごすことを、当初彼は目指していた。しかし、結果として彼の高校生活は、無難なものどころか、個性豊かな仲間たちと共にする刺激豊かなものになった。古見硝子と関わったことによって。

 只野と古見の関係性は、単に只野が古見の友達づくりを助けているにとどまらない。古見もまた、自らの友達づくりを通して、只野を仲間たちとの関わりに巻き込んだのである。

コミュ症-とは。人付き合いを苦手とする症状。またはその症状を持つ人をさす。留意すべきは-苦手とするだけで、係わりをもちたくないとは思っていない事だ。

引用元:『古見さんは、コミュ症です。』第1話冒頭のト書。

 「話す」ことは「聞く」人がいて初めて成立する。しかし同時に、「聞く」ことは「話す」ことを受け止めることでうまれる。コミュニケーションとは、発信者と受信者が互いを補い合う営みなのだ。不器用ながらも、勇気の一歩を踏み出して「コミュニケーション(人付き合い)」に向き合おうとする古見たちの物語は、そう気づかせてくれる。

(藤崎 尊文)


(注)
(※1)出典:オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』「週刊少年サンデー」にて2016年から連載。


   

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