予想問題③(60分)

日本の食文化はどうなる

いまさら、野暮なといわれようが、命というものについて考える

渡辺文雄

  

 今日の食卓の風景が、明日もそのままでいられるかどうか。二〇五〇年の地球の人口は、現在の二倍の百億人になるという国連の予測がなんとも不気味である。そしてもっと不気味なのは、そんな予測が出ているのに、なんの変化も現れない食卓の風景である。

 食卓からこぼれ落ちそうなご馳走の数々を前にして人々は幸せそうに語り合う。何が旨い。どこの店が旨い。カタカナ、横文字が連発され、いろいろな他国の料理の話が誇らし気に話し交わされる。これがファッションなのだそうである。

 考えてみれば、ついこの間までこの国には飢餓の時代があった。我々年配者の時間の流れの中には、この飢餓と飽食の両方の時代が存在する。このこと、若い人たちにいくら話してもほとんど理解されない。

 飽食とファッションの世界は果てしなく広がり、その中で私の心はなんともすわりの悪いものになっていく。腹は満たされても心は満たされない。「いくらなんでも行き過ぎではないのか。歯止めのない飽食。しかもファッションだなんて、はしゃぎ過ぎではないか。」振れ過ぎた振り子は間違いなく戻る。そのことに期待するしか仕方がないのか、と思う。

 ファッションもカッコイイも結構だが、はしゃぎ過ぎれば何事もその本質が見えなくなる。食べるという行為の本質、本当の意味とは何なのか、何をいまさら野暮なといわれようが、このことに心を至らせないと、なんとも我が気持のすわりが悪すぎる。

 我々が日々口にするもの、食べているものにはすべて命というものがある。つまりどんなに美しいもの、高価なものであっても命のないものはぜったいに我々の食料にすることはできない。

 食べるとは、命を移しかえるということである。他の命を我が身中に移しかえて、我が命とする、これが食べるということの本質である。

 今時のテレビ、雑誌、新聞等に登場する食関係の番組、記事の多さはやや異常と思われるくらいに多いと思う。もちろんどうでもいいようなファッション化したものも氾濫しているが、それ以外にもビタミンだミネラルだカロリーだというような、やれ体に良いだの悪いだのといった、いわゆる教養的なものも多い。だが、これらの記事番組の中で、命という視点を持った話は、残念ながら私は一度も耳にした覚えがない。ひょっとしたら、というよりはおそらく今の我々には、食物の中にビタミンやカロリーは見えていても、今そのものはまったく見えていないのではないだろうか。頭のついた魚を見て悲鳴をあげる女性、虫のついた菜っ葉をキャッといって放り出す主婦、彼女らが恐れているのは食べ物の中にある今そのものなのである。今、我々人間という生き物をとりまく世界はあまりにも余裕がありすぎるから、命というものの持つ生々しく無惨な部分は取り除かれ、取り捨てられて、食べ物は美味なるもの、美しい物として我々の前に提供されている。

 これを食文化というのだろうか。これだけを食文化というのだろうか。このこと、私には素直に肯んずることができない。着飾った皿の上に美しく盛られた一片の肉の元は、あのかわいらしい目をした子牛であり子羊なのである。

 かといって決して感傷的になれといっているのではない。感傷的な立場というのもまた、間違いなく傲慢な人間の心なのだから。

 今、もめにもめている捕鯨の問題もまた、この感傷的な立場が事を紛糾させていると思えてならない。鯨がかわいそうだから捕るなという立場と、捕った鯨はすべてを食べ尽くし、使い尽くした我々の祖先、その鯨たちは過去帳に記され弔われ、鯨塚が造られ、その命のすべてに合掌を捧げた我が祖先たち。この二つの立場のいずれに、鯨の命が見えていたか、あえていうまでもないと、私は思う。捕鯨の諾否、こんな問題の起こるのもまた、食材の量の豊富さ、つまり飽食の時代だからなのではないのかと思う。

 この地球という星に住む人間が現在の倍に膨れ上がったときに、我々と食の関係はどうなるのか。たしかに食をとりまくさまざまな技術、保存、流通、そして新しい食材の発見やバイオテクノロジー等の発展がもたらすものが何なのか、不勉強な私には予想もつかぬが、しかし我が命も含めてさまざまなものの中にある命が、今よりは確然と見えてくるのではあるまいか。

 かつて我々は、家族全員で食卓の前に正座をし、食べ物に合掌をしてから食事についた。そこには、間違ってもはしゃぎ過ぎた空気は存在しなかった。かっての食卓が賑わいを見せたのは、年に何回かのハレの日。そのとき人々の間に共通していたのは命というものに対する心からの感謝の思いであったと思う。今の食卓は一年を通じてハレの日のはしゃぎよう。その賑々しさの中に命というものに対する思いを探し出すのは、至難のわざである。

 日本の食文化はどうなるか。そう問われてもほとんどなにも見えてこないが、命という根源的な言葉の明かりに、唯一の抜け道があるのではないか、そんな気がしているだけである。

(『21世紀に生きる』桐原書店、1996年)

  

1.本文を要約しなさい。(400字以内)

2.日本の食文化はどのようにあるべきか。あなたの考えを書きなさい。(500字以内)