医療等の専門職は、相手が専門用語を理解しているかをよく見定めておくことが大切である。なぜならば、表情や声、視線などにも細心の注意を払い、相手がわかるように言葉を選んで説明をするのが我々の務めだからである。しかし意識して行わなければつい見落としてしまうことがある。
先日、母が歯科受診をして薬局で薬をもらって帰ってきた。母は帰ってくるなりいきなり私を呼びつけて、これは何と読むのかと薬袋を見せてきた。薬袋には「疼痛時」と書いてある。私は病垂(やまいだれ)に冬と書いてある。音読みすればいいと答えた。すると母は「トウツウ…」と呟きながらどういう意味かと尋ねてきた。「疼く」だ。昨夜歯が疼いて眠れないとぼやいていたではないか。そういう意味だと、私はぶっきらぼうに返した。母は釈然としない表情でしばらく薬袋を見つめていた。それにしても歯痛で苦しむ母に対して、もう少し優しい声掛けはできなかったのか。そっと手を添えて脈を測り、体の具合を診てやれば母の心も和んだのに。今さら自分の行動を反省したところで後の祭りだ。
ちなみに疼痛は医療用語なので、薬剤師はその意味も服薬方法や注意事項に加えて説明したのだろう。だが本人は歯痛で何も耳に入ってこなかったようだ。
また母は「歯科医が何も治療してくれなかった」と言ってきた。先生は忙しそうだったとか、億劫な対応だったとぼやく。すぐ歯を治療して痛みを除いてくれると期待していたから母は余計に不満なのだ。しかし歯科医は、母の訴えをよく聴いたうえで診断を下しているはずである。あくまでも私の推測だが、歯を治療する必要はないので薬で治しましょうと説明したと思われる。でも母は先生の話を理解できてなかった。
患者が納得できるように説明し、医療を提供するのが医療者の義務だ。特に高齢者は聴力や視力が低下しているからなおさらである。患者の注意力や理解力、判断力を見極めて個別対応を行う。そこでプラスアルファの工夫も必要になる。たとえば、看護師は患者が医師の説明を十分に理解できているかを確認する役目がある。平易な言葉を使って補足説明にあたる。また薬局の受付は「お痛みがつらいとき」などと手書きのメモを添えて帰宅後の服薬管理を助けている。
つまり医療者は、相手の視点に立つ、思いやりの心を持つ、安心安全の医療を一貫した姿勢で患者に提供することが大事なのだ。歯の痛みのために治療や服薬の説明を十分に理解できなかった母を不憫に思う。このことで医療者としての基本姿勢に改めて気付かされたできごとだった。
(涼味 愛滋郎)