こころが折れてしまう人を減らすために何ができるか、について

同じような仕事をしていても、こころが疲れて折れてしまう人とそうでない人がいる。身近にいるこころを健康に保っている人(園長)に聞いた話がとってもいい話だったので備忘も兼ねて整理。

 

松木「同じ仕事をしててこころが折れてしまう人とそうでない人がいるじゃないですか。園長は、ま、疲れてはいると思いますが、折れてはない。こころが折れてしまう人と、園長との違いってなんだと思います?」

園長「いきなりですね(笑)。私も折れそうですよ。ま、園長にまでなったらもう病まないですかね。ある程度は自由になるので。でも、そうですねぇ、同じ職場環境で病む人とそうでないがいたとしたら、、病む側の人は仲間を信頼していない、って感じですかね。」

おじ「ほう、、もうちょっと詳しく教えてもらっていいですか?」

 

園長「私が見てきたこころが折れてしまう人って、相談することが上手じゃない人が多かったような気がします。

おじ「ほうほう。」

園長「病んでる人を『責任感が強すぎる』って表現されることが多いですよね。責任感が強すぎるから、できないことがあってもそれをやりきろうとして頑張って折れちゃう、みたいな。あれは私はよくないと思います。もっと正直に『自意識過剰』って表現したほうがいいと思います。」

おじ「でも、病んでる人に『君、自意識過剰だね』って言いづらい。。」

園長「その人に直接言う必要はありません(笑)。でも、その人の責任は、その人のポジションで仕事をすることなので、そのポジションを埋められなくなるのは責任放棄だと思いますよ。しっかり責任を果たしている人に対して失礼じゃないですか。病んでる人を責めてもしょうがないけど、病むこともよしとするような言い方は避けたいと思います。」

おじ「それは、、まぁ、、その通りですね。。」

園長「自意識過剰で仲間を信頼してない人は『自分が可愛いから』困ったことが起こっても他人に相談できなくて、できないことが積み重なっていって、周りが見えなくなるような気がします。」

おじ「自分が可愛いからって、そうですかね。どういうイメージですか?」

園長「具体的にいうと、自分が相談する姿がカッコ悪いからヤダとか、上司に相談したら怒られそうだからヤダとか、SNSではキラキラを演じてる自分ができないって言いたくないとか、ようは自分をよく見せられないことに対するストレスを避けようとしているっていうイメージです。」

園長「 仲間(はそんなことを思わないってこと)を信頼してたら相談しますよね?周りの人間にとっては、その人の仕事上の出来不出来なんか人間性のほんの一部くらいにしか思ってないし、その人のポジションを埋められなくなることの方が百倍困るので相談してほしいんですけどね。」

おじ「なるほど。」

園長「仕事って一人でできることが限られるじゃないですか。逆にいうと、一人でできないからみんなでやってる。だから『お互いさま』っていうことが基本的な姿勢だと思うんですよ。なので、困ってる人を見つけたら『手伝おうか?』って言う、困ったことが出来たら『手伝ってください』と言う、ということが仕事の基本だと思うんですよ。そういう信頼関係が職場でできてると、病む人が少ないと思いますね。」

おじ「へぇ、、さすがですな。確かにそうかもしれませんね。」

園長「電通さんがそうかどうかは知りませんが、本当にブラックだったら、それでも病むと思いますけどね(笑)。相談しても『知るか、ボケェ』って怒られるとか。」

 

おじ「ま、そうですね。あと、、こころが疲れているというか、痛んでいる人の種類として、折れてはないんだけど攻撃的になっちゃう人もいるじゃないですか?病ます側みたいな。どっちかというと、そっちの方が深刻かなと僕は思うんですけど、それってどう思います?」

園長「それも、、根底にあるのは自分が可愛いってことで、表出の仕方が、他人に求めすぎって感じですかね。」

おじ「どういうイメージですか?」

園長「仲間に対して『こういうことをやってもらえない』っていうマインドが大きいと、不満ばっかりたまると思うんです。例えば『何回言ってもダメ』とか『あの上司は能力もマインドもイマイチだから一緒に働きたく無い』とか。。私は、仲間は信頼はするけど、結局は他人なので、その人が自分のために何かをやってくれるとか、自分が一度伝えたことを間違いなく遂行できる、とかは期待しない方がいいと思ってるんです。そうだと不満もたまらない。『結局は他人』という言い方はあまり好きではありませんが、それが『その人を尊重する』ということだと私は思います。」

おじ「ほうほう。」

園長「だから『その人はその人のために生きてる』っていうことを基本理解にして、自分を手伝ってもらえる時間もある、共有する目標のために一緒に働く時もある、くらいに考えた方が、現実の姿に近いと思ってます。」

おじ「へぇ。。すごいね。。」

園長「だから、何かをお願いする時にも『だ・か・ら・さ!!(怒)』みたいな話し方じゃなくて、その人が自らそう動きたくなるようにコミュニケーションをとった方が建設的だと思いますね。『私はデキるのに』とか『私はアレをしてあげてるのに』とかは、相手には全く関係ないし、逆に迷惑だったりすることもある。病ませる側の人の根底にあるのも、やっぱり自分が可愛くて他人のことを信頼してないってことだと思いますね。」

おじ「・・(こころが痛くなってきた)・・」

園長「やっぱり、一人でできることが限られているからみんなで仕事をしてるってところに帰着すると思うんです。なので、偉くなればなるほど、自分が相手のために役に立っているのかという観点から思考を始めることを示さないと、職場内でのギブアンドテイクが成立しなくなっちゃうと思いますね。そのギブアンドテイクのキャッチボールが円滑に出来てくると病む人が少なくなると思います。」

おじ「なるほど〜、さすがですな〜。」

園長「そんなこと無いです。園長ですから。」


おじ「つまり、自意識過剰で仲間のことを信頼出来ない、他人に求めすぎ、ってことが、こころが折れたり傷んだりしてしまう原因だとすると、僕たちはどう行動すればそういう人たちを減らせると思いますか?何かできることがある、と思うことも僭越(せんえつ)かもしれないけど、もし、彼らのために何かできるとしたらなんだと思います?」

園長「それは、、こころが折れたり、痛んでしまってからは難しいですね。折れてる人に何を言ってもその人の中に入っていかないし、更に追い詰めちゃったりしますもんね。怒ってる人に『信頼してください』って言っても『できるか、ボケェ!』ってなりますよね(笑)。」

おじ「なるなる(笑)。」

園長「とすると、やっぱり、未然に防ぐってことだと思います。こころが疲れる前に信頼関係を作る。具体的には、『お互いさまの精神』で、困ってそうだったら声をかける、困ってなさそうでも困ってることがないか声をかける、ってことですかね。」

おじ「案外普通のところに帰ってきましたね。」

園長「そうですね。でも、そういうことなんじゃないでしょうか。『私はあなたを受け入れます。私はあなたの役に立てていますか?』っていう投げかけを繰り返すってことでしょうね。あ、あと、私が気をつけていることがあるとしたら回数ですね。偏らせない、深くより回数、っていう感じ。」

おじ「どういうことですか?」

園長「自分の子供でもそうですけど、やんちゃで気になる子って、叱ることが多いので接点が多いじゃないですか。逆にちゃんとしてる子って接点が減る。でも、表面上はちゃんとしてても、抱える問題の数は大体同じって考えたほうがいいんですよね。普段気にしてないので、問題が出てきた時にはすでに深刻になってしまっていたりする。なので、みんなに満遍なく声をかけるように、なんとな〜く回数をカウントをしてます。」

おじ「へぇ、、すごい。深くより回数ってのは?」

園長「一回のコミュニケーションで問題を解決しきろうと思わないって感じです。少しずつ少しずつ関係を作っていくイメージ。なので、一回あたりの声がけはすごくライトなものにしています。軽くすると回数を稼げますよね。その方が信頼関係を作れると思います。飲みに誘うよりかはランチに誘ったり。全部全力投球だと、こちらも疲れちゃいますしね。」

園長「あと、どんなに冷静に理解してても、私も人間なのでやっぱり怒っちゃうこともありますよ。なので、定期的に『自分はみんなの役に立てているのか、傲慢になってないか』っていうことを落ち着いた環境で内省する時間をとってますね。で、それでも叱らないといけない相手には、きっちり叱ります(笑)。」

 

おじ「なるほど〜、すごいすね〜、尊敬します。」

園長「でしょ。なんてったって園長ですから、私。」

なんか、途中で自分の悪いところを指摘されたような気もするけど、それでも今後の具体的な行動に移せそうな学びがありました。

以上です。

   

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